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がんの抗体療法

Antibody therapy of cancer.

Scott AM, Wolchok JD, Old LJ.

Nat Rev Cancer. 2012 Mar 22;12(4):278-87.

【総説内容】
がんの抗体療法は15年以上も前に研究が始まり、今や血液悪性疾患と固形腫瘍の治療のための最も重要な治療法の一つになっている。腫瘍細胞では、細胞表面抗原の過剰発現や変異が見られたり、正常組織にはない特異的抗原が出現したりしている。そこで、1960年代にはすでに血清学的手法を用いて、それらの腫瘍細胞の表面抗原を標的とした抗体療法が試みられていた。これらは、抗体を用いた表面抗原や受容体機能、免疫系の変化を惹起したり、特異的薬剤を抗体に結合させて特異的抗原を発現する組織を標的としたりするなどといったさまざまな方法であった。このような治療においては、標的となる抗原の選択、抗体の抗原とのアフィニティ、何を標的とするか(腫瘍細胞の抗原、細胞内シグナル伝達、T細胞活性化などの免疫機能など)、抗体の薬物動態特性はどうか、などさまざまな重要な要因があり、それらを改善しつつ多くの臨床試験が行われてきた。

1. がんに対する血清学的治療の歴史
19世紀末に抗体が発見されると、すぐに抗体をがんの診断や治療の「魔法の弾丸」として用いることができるのではないかというアイデアが生まれた。そして、ヒトのがん細胞を用いて動物を免疫し、がん特異的な抗血清を作製する試みが行われた。このような試みはほとんどがうまくいかなかったが、CEAが大腸がんの、α-フェトプロテインが肝細胞がんのマーカー抗原として有用であるという発見がなされた。さらに近交系マウスの発達によって、同種抗体の反応性解析の強力な手段としての細胞毒性試験など、がんの血清学的治療の重要な方法が発達した。また、細胞表面は高度に分化した構造によって認識可能であることが分かってきた。当初、リンパ球サブセットの区別に用いられていた細胞表面分化抗原が同定された。さらに、ハイブリドーマ技術とセルソーター(FACS)を用いた解析技術の発達がそれに拍車をかけた。これらの進歩によって、ヒトがん特異的抗原の検索と、モノクローナル抗体を用いた細胞表面構造の解析が進展した。最近は、がん細胞の間質や血管細胞が発現する新たな抗原によって、がんと正常組織が区別できることも分かってきた。将来的にはバイオインフォ―マティクスの手法を用いて、がん細胞表面抗原の全体、すなわち「surface-ome」の構築が行わると考えられている。

2. 腫瘍細胞を死滅させるためのさまざまな戦略
腫瘍細胞を死滅させる攻撃(tumor cell killing)にはさまざまな方法がある(図1)。①抗体の直接作用を利用するもの。腫瘍細胞表面の受容体の阻害または活性化、アポトーシスの誘導、細胞傷害性薬剤の導入。②免疫系を介した腫瘍細胞攻撃。補体依存性の細胞毒性(complement-dependent cytotoxicity; CDC)、抗体依存性の細胞毒性(antibody-dependent cellular cytotoxicity; ADCC)、T細胞機能の修飾など。③細胞の血管構造や間質に対する抗体の特異的効果を利用したもの。これらはいずれも臨床応用され、それらの中でも、腫瘍細胞のシグナル伝達を障害するもの(cetuximab、trastuzumab)、ADCCを介するもの(rituximab)、T細胞機能を調節するもの(ipilimumab)は最も成功したものである。
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抗体を用いた腫瘍細胞死滅のための戦略
a(左上): 本文①の抗体による細胞表面受容体の直接刺激により、受容体の二量体化、受容体キナーゼ、下流のシグナル伝達などを阻害するものである。また、抗体に結合させた酵素や細胞傷害性薬剤、 siRNA 、アイソトープを用いた腫瘍細胞攻撃などがある。
b(右):免疫系を介して腫瘍細胞を攻撃する方法で、細胞貪食(phagocytosis)の誘導、補体(complement)活性化、抗体依存性の細胞毒性(ADCC)、単鎖抗体(single-chain variable fragment;scFv)によるT細胞機能の調節、抗体による樹状細胞への抗原提示、T細胞阻害受容体の(重要分子としてcytotoxic T lymphocyte-associated antigen 4; CTLA4)の阻害などである。
c(左下):抗体を血管構造の受容体に対するアンタゴニストや間質細胞の阻害として利用、抗体に血管を傷害する薬剤を結合させるなどして、血管や間質細胞を傷害する。

3. 抗体療法の標的となる腫瘍抗原
がんの抗体療法の効率と安全性は、標的となる抗原の性質にかかっている。理想的には、標的となる抗原は腫瘍細胞の表面に一様に発現し、豊富で到達しやすいなどの特徴が必要である。また、ADCCやCDCを利用するなら抗原抗体複合体は急速に細胞内に移行しない方がよいし、細胞傷害性薬剤を結合させた抗体を用いた治療の場合は逆に効率よく細胞内に移行するのが望ましい。モノクローナル抗体治療に利用される腫瘍関連抗原は、表1のようにさまざまなものがある。造血分化抗原はcluster of differentiation (CD)で表される糖蛋白で、これらに対する抗体が血液悪性疾患の治療に用いられる。また、成長因子や成長因子受容体が抗原になることもあり、EGFR(ERBB1)、ERBB2(HER2)、ERBB3、MET(HGFR)、IGF1R、ephrin receptor A3(EPHA3)、TNF-related apoptosis-inducing ligand receptor 1 (TRAILR1、TNFRSF10A), TRAILR2 (TNFRSF10B)、receptor activator of nuclear factor-κB ligand (RANKL、TNFSF11)などに対する抗体が作製されている。血管新生に関する蛋白で抗原となるものはvascular endothelial growth factor (VEGF)、VEGF receptor (VEGFR)、integrin αVβ3、integrin α5β1などである。がんの間質や細胞外マトリックスの抗原(fibroblast activation protein; FAP、tenascin)なども抗体の標的となる。
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4. 臨床で用いられる抗体の開発

これらを抗体療法として臨床で用いる場合には、抗体が腫瘍組織だけでなく正常組織に到達するか、すなわち毒性の問題が重要になる。本グループ(Ludwig Institute for Cancer Research)は、抗体の生体分布や薬物動態から毒性を解析する臨床試験のモデルを作成した(Scott AM, 2007)。この試験デザインは他の15以上のがんの抗体療法の臨床試験に応用されている。例として、cetuximabの開発につながったマウスEGFR特異モノクローナル抗体や、ERBB2を標的としたtrastuzumabの試験がある。非ホジキンリンパ腫に対するCD20を標的とした抗体にアイソトープを結合させた、tositumomabおよびibritumomab tiuxetanもその重要な例である。

5. 認可されたがん抗体療法
1997年以来、固形がんおよび血液悪性疾患に対する12の抗体療法がFDAに認可され (表2)、現在も多数の臨床試験が進行中である。
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また、複数のモノクローナル抗体すなわち異なる受容体に対する2種類の抗体や一つの受容体の異なるエピトープに対する2種類の抗体(trastuzumabとpertuzumabなど)を用いた組み合わせ治療(combination therapy)の臨床試験も進んでいる。血液悪性疾患に対するrituximabはCD 20陽性非ホジキンリンパ腫に対する治療として成功を収めているが、アイソトープ(131Iおよび90Y)でラベルしたCD20抗体が非ホジキンリンパ腫患者の生存率を改善することが示されている。抗体に治療薬および細胞毒性をもつ薬剤を結合させた抗体複合体(antibody conjugates)による治療も行われており、CD33陽性AMLに対するgemtuzumab ozogamicinやCD30陽性ホジキンリンパ腫に対するbrentuximab vedotinの臨床試験が行われた(ただし前者は化学療法と比較して効果不十分のため試験中止)。このような方法は固形がんに対しても行われ、ERBB2陽性乳がんに対するtrastuzumab emtansine (T-DM1)として現在第Ⅲ相臨床試験中である。抗体療法は米国にとどまらず、例えばCD3とEPCAMに対する二重の特異性を持つマウスモノクローナル抗体であるcatumaxomabはEUで認可され、EPCAM陽性腫瘍に伴う癌性腹水の患者に用いられるようになった。EGFRに対するヒト化IgG抗体であるnimotuzumabは頚部癌、グリオーマ、耳鼻科腫瘍に対してアジア、南アメリカ、アフリカの諸国で承認された。細胞内DNA関連抗原を標的とした、肺がんに対する131I-ラベルIgG1κキメラモノクローナル抗体Vivatuxinは中国で承認を受けている。

6. 抗体を用いた免疫調節療法
抗体は、上記以外にも、がんの監視に重要な免疫機能を活性化または阻害するという重要な働きがある。抗原特異的な免疫反応は、抗原提示細胞、T細胞、標的細胞間のダイナミックな相互作用の結果である。T細胞活性化のためには、主要組織適合遺伝子複合体(major histocompatibility complex, MHC)に結合した抗原ペプチドをT細胞受容体が認識するだけでは不十分で、T細胞活性化因子であるCD28が共刺激分子(CD80またはCD86)のB7ファミリーと結合することが必要である。これにより一連のシグナル伝達系が活性化され、最終的にIL-2のオートクリン産生とT細胞活性化が起きる。CTLA4は、細胞内から免疫シナプス(免疫細胞どうしが結合して情報伝達をしている部位)に移行し、B7分子に強力に結合してCD28によるT細胞活性化シグナルを止め、T細胞活性化を阻害する分子である。抗体を用いてCTLA4を阻害することにより、T細胞活性化が増強され、これを腫瘍細胞攻撃に応用することができることが明らかになっている(Leach DR, 1996)。これを利用して現在2種類のCTLA4阻害ヒトモノクローナル抗体(ipilimumabとtremelimumab)が開発され、ipilimumabは切除不能の転移性悪性黒色種(metastatic melanoma)患者の全生存を延長し(Hodi F, 2010)、これによりFDAやEMA(欧州医薬品庁)など多くの国で承認を受けた。T細胞活性化阻害分子であるCTLA4を阻害することによって、「T細胞活性化阻害」の抑制(dis-inhibition)が非特異的に起きるため、組織特異的な炎症反応すなわち「免疫関連有害事象(immune-related adverse events, irAEs)」が生じうる。これらが起きるのは主に皮膚と消化管で、そのほかには肝と内分泌腺にも起こるが、一般的にはコルチコステロイド投与でipilimumabの抗腫瘍効果を減弱させることなく管理できる。

CTLA4のような免疫チェックポイントを阻害する(抗体が直接腫瘍細胞を刺激するのではなく、T細胞機能を増強する)という方法の成功は、他の免疫調節抗体を用いた治療の扉を開くことになった。次に現れたのはprogrammed cell death protein 1 (PD1)を阻害する抗PD-1ヒトモノクローナル抗体である。PD1は、活性化または疲弊した(exhausted) T細胞のマーカーであり、そのリガンドであるPD1 ligand (PD-L1, B7H5)が結合すると、T細胞のアポトーシスが起きる。そして、このリガンドは抗原提示細胞表面だけではなく、多くの腫瘍細胞上にも認められる。PD1を阻害する治療法は、悪性黒色腫、腎細胞がん、非小細胞肺がん、直腸がんの早期臨床試験において、有効で副作用の少ない治療であることが示されている。

免疫調節療法としては、阻害抗体だけでなく活性化抗体(agonistic antibody)の利用も行われている。CD137(T細胞活性に働くTNF受容体スーパーファミリーの一つ、別名4-1BB)を活性化する2種類のヒトモノクローナル抗体がPfizerとBristol-Myers Squibbで作製されている。また、CD40活性化抗体は膵がんに対する効果が認められている(Beatty GL, 2011)。

7. 抗体療法の治療抵抗性発症のメカニズム
がんの抗体療法で期待した治療効果が得られない場合は、表3のようないくつかの理由が考えられる。
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標的となる抗原や受容体の発現の変化(治療によって発現が変わってしまうこともある)、抗体の物理的特性や薬物動態の変化(腫瘍への到達度が変わってしまう)、腫瘍内の微小環境の変化により腫瘍内の抗体の濃度や受容体飽和度が変化し、シグナル伝達が変わったり免疫エスケープが起きたりすることもある。原発巣と転移巣の間で、または転移巣の間で抗原の発現が不均一なために、抗体の効率が変化することもある。さらに、trastuzumab反応性は受容体発現の量に関連しているが、かといって受容体の発現量で反応性が予測できるわけでもない。また、直腸がんはEGFR発現量ではcetuximabやpanitumumabの反応性が予測できない。すなわち腫瘍における標的受容体の発現量は、抗体治療の効率は部分的にしか予測できない。抗体と腫瘍の結合には複雑な相互作用が影響しているのだろう。

ADCCは抗体の治療効率に重要な役割を果たす。Fcγ受容体(FcγR)は、免疫細胞の表面に発現しており、抗体のFc部分に結合してこれらの細胞の細胞毒性や貪食能を活性化する作用を有している。FcγRIIa-131H遺伝子多型があると直腸がんに対するcetuximab、乳がんに対するtrastuzumab、濾胞性リンパ腫に対するrituximabの反応性が高くなることが分かっている。そのため、ADCC活性を高めるための方法として、抗体をフコシル化修飾するなどの方法が臨床的にも用いられるようになってきた。しかし、FcγR遺伝子型によって抗体の反応性を完全に予測できるわけでなく、抗体の腫瘍への反応には他の重要な因子がまだあるのだろう。さらに、腫瘍細胞におけるナチュラルキラー細胞阻害蛋白の発現(human leukocyte antigen E ;HLA-EやHLA-G)が抗体のADCC機能に影響しているかもしれない。また、抗体がT細胞の腫瘍抗原に対する反応を惹起する能力は、例えば樹状細胞による抗原のクロスプレゼンテーションや、抗原プロセッシングや、制御T細胞による免疫エスケープなどさまざまな要因が影響していると考えられている。

シグナル伝達経路の阻害は、抗体による腫瘍細胞攻撃の重要な戦略である。そのため、先天的・後天的なシグナル伝達の変化は抗体治療への抵抗性を起こす原因となる。先天的なシグナル伝達の変化とは、遺伝子変異(直腸がんにおけるKRAS変異など)や細胞表面受容体の相互作用(例えばEGFRとMETの間に見られるような)などによるものによる。後天的なシグナル伝達の変化(治療後の変化)には、受容体の内在化や分解の変化によるシグナル伝達の減弱がある。また、あるシグナル伝達経路を阻害しても、別の経路が過剰に活性化させることになっては抗体療法抵抗性が増強されてしまうこともある。しかし、腫瘍細胞ごとのシグナル伝達系の特徴が解明されれば、どのような患者にはどの抗体療法が適しているか、またどの抗体療法を組み合わせればよいかなどの選択に役立つだろう。

この10年間の医科学におけるもっとも大きな成功の一つが、癌の抗体療法である。この成功は、抗原抗体反応の解明、抗原の選択方法の進歩、抗体受容体機能、がんに対する免疫系の理解など多くの分野における長年の検討による。現在、認可された抗体療法のほか、いくつかの臨床試験が進められており、がん治療確立のための適切な戦略が打ち立てられつつある。

【参考1】WHOの国際一般名International nonproprietary names (INN)によるモノクローナル抗体製剤の命名法:

① 接頭語:自由に決めてよい。ただし他と区別できるように。

② 標的臓器、癌のある臓器
標的臓器:bacterial =ba(c)、bone=os-(presubstem)、cardiovascular=ci(r)、inflammatory lesion=le(s)、immunomodulator=li(m)、viral=vi(r)

腫瘍:colon=co(l)、testis=go(t)、ovary=go(v)、mammary=ma(r)、melanoma=me(l)、prostate=pr(o)、その他いろいろの癌(tumor)=tu(m)

③ 抗体の動物種
Human=u、hamster=e、mouse=o、primate=i、rat=a、chimeric=xi、humanized=zu、rat-murine hybrid=axo-(presubstem)

④ モノクローナル抗体を表す接尾語 monoclonal antibody=mab

例:
Trastuzumab(ハーセプチン® 、トラス-ツ-ズ-マブ)=①tras(接頭語)-②tu(いろいろな癌種)-③zu(ヒト化抗体)-④mab(モノクローナル抗体)
Rituximab(リツキサン®、リ-ツ-キシ-マブ)=①Ri(接頭語)-②tu(いろいろの癌種)-③xi(キメラ抗体)-④mab(モノクローナル抗体)
Bevacizumab(アバスチン®、ベバ-シ-ズ-マブ)=①Beva(接頭語)-②ci(血管)-③zu(ヒト化抗体) -④mab(モノクローナル抗体)
Ipilimumab(Yervoy® イピ-リム-マブ)=①Ipi(接頭語)-②lim(免疫系調節)-③u(ヒト抗体)-④mab(モノクローナル抗体)


【参考2】
2013年には、進行性の黒色腫(advanced melanoma)に対する抗PD-1抗体であるlambrolizumab (MK-3475) の有効性(Hamid O, NEJM 2013)、抗CTLA4抗体(ipilimumab)と抗PD-1抗体(Nivolumab)の併用療法の有効性(Walchok LD, NEJM 2013)が示された。これらの免疫チェックポイント阻害モノクローナル抗体ががん治療の画期的新薬として報告された2013年末には、NatureScienceの「2013年のブレイクスルー」としてcancer immunotherapyが挙げられている。


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by md345797 | 2014-01-14 22:15 | その他

代謝閉包(Metabolic closure)とは何か: 生命の理解のためのさまざまな理論(1)

From L'Homme Machine to metabolic closure: steps towards understanding life.

Letelier JC, Cárdenas ML, Cornish-Bowden A.

J Theor Biol. 2011 Oct 7;286(1):100-13.

【まとめ】
生命の本質を理解したい、と人間が思い始めたのはいつからだろうか?人間が生命を機械論的な用語で語るようになったのは、18世紀のラ・メトリ『人間機械論』(L'Homme Machine)からであった。1950年代から始まった分子生物学は、生命の細部のメカニズム解明に大きく貢献した。しかし、これによって他の研究者の研究内容がお互いにほとんど理解できないくらい、専門の細分化が進んでしまったとも言える。その間にも、生命の本質についてさまざまな取り組みがなされ、多くの理論が作られてきた。これらは、(M,R)システム、オートポイエーシス、ケモトン、ハイパーサイクル、シムビオーシス、自己触媒集合、Sysers、RAFセットなどである。これらの理論は全く同じ内容ではないが、そこには重要な共通概念が存在している。それは、「生体を維持する代謝に必要なすべての酵素は、生体そのものによって生産されなければならない」というような概念である。この概念は、システムが「閉じている」という意味でclosure (閉包)と呼ばれている(注1)。この代謝における閉包(metabolic closure)は生命の重要なモデルと思われるが、その概念をすべて含むような理想的な生命論はいまだ存在していない。

(注1) ここでは「closure」の訳語として、集合が閉じているというような意味を援用して、数学の位相空間論などで用いられている「閉包」を当てた。哲学の一分野である「心の哲学」で「causal closure of physics」が「物理的領域の因果的閉包性」、後述のオートポイエーシス用語で「operational closure」が「操作的閉包性」と訳されている例がある。なお、closureの他の訳語としては「閉域」「閉鎖」などが使われている。

【総説内容】
1. 「生命の理解」のための小史
(1) ラ・メトリの『人間機械論』

フランスの医師ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(Julien Offray de La Mettrie)の著作『人間機械論』(L'Homme Machine, 1748)は、生命をからくり時計(clock automata)の比喩で説明した機械的、無機的生命論であった。当時の宗教では、生命の根底に何らかの霊的な存在があると考える生気論(vitalism)が一般的であったため、ラ・メトリの著作は大きな論争を巻き起こした。1760年代のハイテクノロジーであったギアやシャフトをモデルにしている、この『人間機械論』は、現代人から見ると大雑把なものに感じられるかもしれない。しかし、ラ・メトリの説には実は現代に通じる先見性があった。というのは、この機械論は後でも述べるように、「生命は、それを中心でコントロールする存在を想定することなく、局所で働く連動した要素によって全体の振る舞いが決まるシステムである」という考え方であり、これこそが、その後の分子や化学に基づく生命の理解と共通する重要な概念になっているからである。

(2) 酵素触媒の化学反応としての生命
1900年までに、生体は、熱力学に依存した酵素触媒の化学反応ネットワークである代謝(metabolism)に基づいて明快に説明できると考えられるようになった。そのため、生命は、医師ステファヌ・ルデュック(Leduc, 1912)によって浸透圧成長(珪酸ナトリウムの溶液に硫酸銅や硫酸鉄などを入れるとちょうど庭の木のような形に結晶を形成する反応。Chemical gardenとも呼ばれた)という無機的な反応に譬えられた。ここからルデュックは構成的生物学(synthetic biology)という用語を導入したが、これは生きていることのダイナミクスの理解よりも生体の形態形成に焦点を置いたものであった。
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(3) ラシェフスキーと関係生物学
ウクライナ生まれの医師ニコラス・ラシェフスキー(Rashevsky)は、シカゴ大学に移って関係生物学(relational biology)の基礎を作った人物である。彼のグループの膨大な仕事のほとんどは現在残っていない。彼の計算による詳細なモデル化は実験的事実と合わず、例えば彼による「神経のインパルスの伝播」(1931)は、のちに膨大な実験に裏打ちされたシンプルな「神経軸索モデル」(Hodgikin and Hucley, 1952)によって完全に置き換えられている。しかし、ラシェフスキーは1954年になって、生物学的システムの原則について最初に報告し、計測に基づくのでははく、関係に基づく関係生物学的アプローチを確立した。すなわち、生体システムの詳細に重点を置いた半定量的なアプローチではなく、生体システムの組織化(organization)に目を向けた新しいアプローチの必要性に初めて気づいたのだった。ラシェフスキーは生体を物質としてではなく、システムとしての特性の観点からその組織化を考えたのであり、この議論は現在にも通用するものである。彼の投げた最初の石は、やがて彼の弟子であったロバート・ローゼン(Robert Rosen)によって独特な進化を遂げることになる。

(4) サイバネティックスと生体の組織化
1950年代、60年代を通して、ノーバート・ウィーナー(Wiener 1948)の創始したサイバネティックスが大きな興奮を持って受け入れられた。それは、一つはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校におけるBiological Computing Laboratory (BCL)の設立として結実した。サイバネティックスはのちの自己組織化(self-organization)の考えにも強く影響したため、当時BCLに在籍していたマトゥラーナが創始する後述のオートポイエーシスの用語にはサイバネティックスに由来するものが多い。サイバネティックスは今では、「自分自身と相互作用し自分自身から自分自身を創生するシステムと過程(systems and processes that interact with themselves and produce themselves from themselves)」についての研究である、というスチュアート・カウフマン(アメリカの複雑系研究者)の言葉によって理解されている。

(5) 分子生物学の始まりと、自己組織化への関心の衰退
これらとは別の流れとして、遺伝性を担う化学物質としてDNAが単離され、ジェームズ・ワトソンフランシス・クリック(Watson and Crick, 1953)によって、それが二重らせん構造を持つことが明らかになると、それは分子生物学として、爆発的な生命の理解につながった。分子生物学の始まりによって、生命の機械論的な理解が大きく進み、ひいては「DNAの複製こそが生命なのではないか」とまで考える説も現れた。しかし、分子生物学者が年々増加する一方で、「生命の自己組織化は単なる機械論では説明がつかないのではないか」などということに関心を持つ研究者は少なくなっていった。そこにはそれら少数の研究者たちを、「生命が機械でないなら、それではそこに何か霊的な存在でも考えるのか?」という生気論に追いやる空気があったことも一因であろう。

また、分子生物学によって生命は強力なコンピュータに喩えられるようになった。代謝ネットワークにおいて「コード」「オン/オフスイッチ」などの言葉が使われ、遺伝子は「プログラム」を持ち「情報」を担うものであるなど、すべてもとはコンピュータ用語である。これでは、冒頭でラ・メトリが考えたシャフトが回転しレバーが運動する鋼鉄の機械が、分子生物学では複雑な蛋白や核酸の協調運動によって置き換えられているに過ぎないとも言える。しかし実はラ・メトリは、以下のように書き遺している、「人体は自らのばねを自ら巻く機械である。これが死ぬまで運動を続ける生体のイメージである」と。ここには後述する自己組織化の萌芽が見られ、これがコンピュータの比喩ですべて説明がつくと考えている分子生物学的機械論に欠如している視点とは考えられないだろうか。

(6) シュレディンガーの『生命とは何か』
理論物理学者エルヴィン・シュレディンガー(Schrödinger, 1944)は、その著書What is Life?(邦訳は『 生命とは何か-物理的にみた生細胞』岡小天、 鎮目恭夫訳)で生命の3つの原則を短く表している。(1)生体は「負のエントロピーを食べている」、(2)子孫に伝えるべき情報が書かれた、「暗号による脚本(codescript)」がある、(3)生物学は物理学に比べより一般的な法則に従い、生物には物理では不要な法則が必要なのだろうと思われる。

これらうち、一番目は現在では生体は熱力学の法則に従うということ、二番目の暗号の概念はDNAの観点から完全に解明されたことといってよいだろう。しかし、三番目の「生物学は物理学より一般的」という発想は、その後は大方無視されてきた。ダイナモ理論で知られる物理学者ウォルター・エルサッサー(1964)と前述の理論生物学者ローゼン(1991)が真剣に検討したのみであり、そのエルサッサーもオペロン説で有名なジャック・モノーの『偶然と必然』(1971)で厳しく批判されている。確かに、現在までに「物理学に不要で生物学には必要な法則」は見つかっていないが、シュレディンガーが完全に間違っていたことが証明されたわけでもない。しかも、このようなことをその時代の生物学者ではなく、当代随一の物理学者であるシュレディンガーが書き残していることは興味深い。なお、「物理以外の法則を具体的に表現することはできない」と考えている今日の数学者ミハイル・グロモフがこのシュレディンガーの可能性を引用している例もある(Gromov, 2011)。もちろん物理法則は生物にとって「必要」条件ではあるだろう。しかし、「十分」条件と言えるだろうか。そして、物理学の法則の中でさえ「統一理論」ができていない現状を考えると、「物理学に当てはまらない生物の法則などあるはずがない」と断定するのは妥当ではないとも言える。

(7) システム生物学(Systems biology)
今でこそ21世紀のヒトゲノムプロジェクトの申し子のように考えられている「システム生物学」であるが、その語源は大分古く、1968年にユーゴスラビア出身の科学者ミハイロ・メサロビッチ(Mesarović, 1968)が初めて用いたものである。そもそも、システムの概念自体が、ルードヴィッヒ・フォン・ベルタランフィが提唱した「一般システム理論」(von Bertalanffy, 1969)に基づいている。この時期は、前述のラシェフスキーやサイバネティックスと同時代であり、代謝の酵素による動力学的な解明が続いた時期でもあった。しかし、この時代の酵素の反応速度論は、生命の理解とその後の代謝閉包(次節で詳述)の理解には直接結びつかなかった。

2. 生体の基礎となる代謝閉包(metabolic closure)の諸理論
生命はその代謝をつかさどる何千もの生化学反応からなるが、その本質は「代謝をつかさどる酵素は、それ自体が代謝による産物である」ということである。このように、代謝とは「円環状(circular)」なものなのであり、ラ・メトリによれば「自らばねを巻く機械」、ローゼンによれば「因果関係が閉じている組織」なのである。

(1) 無限後退(infinite regress)と閉包(closure)
ここでまず、自己組織化するシステムにはいくつもの特定の酵素が必要であることを考えよう(注2)。それら特有の酵素が生産されるためには、それぞれに対して他の酵素が必要である。それらの酵素にも同様に他の酵素が必要である、それらの酵素にも同様に他の酵素が必要である・・・。このような同じ型の説明が無限に続くことは、無限後退と呼ばれる。この問題を回避するために、「閉包」ということを考えよう。例えば、生体においては、それぞれの酵素はすべてリボソームが合成している (もちろんリボソーム自体もリボソームが合成している)。また、酵素の分解はすべてユビキチン-プロテアソームシステムにより処理されていることが発見された(ここではプロテアソーム自体もユビキチン-プロテアソーム自体により分解される)。このように閉じたシステムの概念が閉包であり、これにより説明の無限後退は回避される。次節以降では、このような閉包の概念を歴史を追ってより詳しく見てみていこう。

(注2) 上記の記述で酵素と書いているものは、原文でcatalysts(触媒)と書かれているものもある。しかし、原文の注釈でcatalystsは代謝に必要なenzymes(酵素)であるとの記述もあり、混同を避けるためここではどちらも「酵素」とした。

(2) (M,R)システム
(M,R)システムの概念は、アメリカの理論生物学者ロバート・ローゼンによって作られた(1598年から1975年に至って提唱され、1991年に『Life Itself』にまとめられた)。この名称は、metabolism-repair systemの略であるが、ローゼンのいうrepairとは、通常用いるDNA修復のような明確な意味ではなく、ローゼン理論の本質を考えると、補充(replacement)と呼ぶべきものである。システムが成長するにつれて分解または拡散によって失われてしまう酵素を持続的に補充する能力を持つのが(M,R)システムである。これは閉包と呼ぶことができるだろう。生体はこのような動力因(efficient cause:アリストテレス形而上学における「結果を生み出す働き」、木の椅子があるとするとそれを作った家具職人)を持ち、代謝に必要な酵素はすべて代謝それ自体の産物である、とする考え方である。生体システムは外部からの酵素活性によって維持されてはいない。もちろん生体は熱力学的には開かれたシステムであり、外界との化学エネルギーの流れは存在するだろう。それはアリストテレスの言う質量因(material cause:椅子にとっては原料である木)として分けて考える。生体そのものが動力因を産生するということは、目的因(final cause:椅子にとっては座るという目的)は不要ということも意味している。下の図1は、ローゼンの(M,R)システムが、酵素による触媒作用の閉包(catalytic closure)を形成していることを示したモデルである。
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(図1) ローゼンの(M,R)システム:実線矢印は代謝産物AがBに変換される化学反応による物質の変化(アリストテレスの言う「質量因」)を表す。酵素fから出る点線矢印はそれを触媒する酵素反応(ここではCatalysisをそう呼ぶ。アリストテレスの「動力因」)である。この酵素fはBによって(生体自体の働きで)持続的に「補充」されるが(Replacement)、その補充を支える酵素Φを作り出すのも酵素fの作用である。Φの「動力因」はもともとは代謝産物Bの特性であるβであるため、このシステムは閉じており「閉包」(Closure)を形成している。これは触媒作用の閉包(catalytic closure)と呼ぶことができる。

上図は「質量因」ではなく「動力因」として閉じており(=物質の出入りという観点ではなく、因果関係という観点から閉じたシステムであり)、外部からの「動力因」はなく、全体として「目的因」もない(=外部からの因果関係の作用はなく、外部に対する目的のようなものも見られない)。なお、点線矢印の栄養素(nutrients)からAへ、Bから廃棄物(waste)へは、生体は熱力学的にはオープンなシステムであり、「質量因」としては閉じていないことを示している。

次項は(2)に続く
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by md345797 | 2014-01-04 20:38 | その他

代謝閉包(Metabolic closure)とは何か: 生命の理解のためのさまざまな理論(2)

From L'Homme Machine to metabolic closure: steps towards understanding life.

Letelier JC, Cárdenas ML, Cornish-Bowden A.

J Theor Biol. 2011 Oct 7;286(1):100-13.

(前項からの続き)

(3) オートポイエーシス(Autopoiesis)
1960年代以来今日に至るまで、脳神経システムは次のような比喩で表されるものであった。すなわち、インプットされた感覚情報を解読し、分類し、観察された対象に対して正しい運動行動を選択する情報処理機器である。このような考え方は神経科学者の間でも自然に持たれる、一般に普及した概念だろう。すべての知覚は特定のニューロンによって解読されると考えられた。アメリカの認知科学者ジェローム・レトビンは、ちょうど孫娘がおばあさんを見たときにだけ発火する「おばあさん細胞」があるかのように考えている(Lettvin, 1959)。

しかし1963年、視覚に関する神経生理学の論文を書いていたチリの神経生理学者ウンベルト・マトゥラーナ(Humbert Maturana)はこの考えに疑問を持ち、「おばあさん細胞などというものを想定したら、知覚したそのもの(表象:perceptすなわち、おばあさん自体)ではなく、その表象を知覚する細胞が必要だろう。そしてさらにそれを知覚する細胞が必要となり・・・」と組み合わせ爆発(combinatorial explosion)を起こしてしまう、したがってそのような表象主義的な(representationist)視点はおかしいと考えた。多くの人が、前項でローゼンが克服した無限後退ときわめてよく似た無限の連鎖に陥りかけていたのである。

その後、イリノイ州のBiological Computing Laboratoryへ1年間の研究休暇に赴いたマトゥラーナは、連日のシステムや人工知能についての議論の成果を報告書に(Maturana, 1970)に書いたが、その中で「脳をコンピューターとして理解しようとするのは根本的に誤っている。なぜなら、神経系は外を見ているのではなく、内を見ているからである(the nerve system does not look out but in.)」と述べている。すなわち彼は、神経系とは「外界の現実を解読する機械である」と考える代わりに、「生体が現在置かれている状況に一致した動きを作り出す特性をもったシステムである」と考える、新しい比喩を提案したことになる。言い方を変えれば、従来の「外界を知覚して解読し、解読した知覚を内部で表現する」という神経系のモデルから、新たに「常に感覚と運動が協調した特殊な状態にある」というモデルを考えた。これは、図2のように、いかなる瞬間も知覚入力のすべてが非知覚部分(運動)の内部状態を変化させ、それが再び知覚の変化を起こす、という無限ループであり、このようなある感覚-運動協調状態(state of senso-motor coordination)が次の感覚-運動状態に遷移していくだけであると考えた。
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(図2) マトゥラーナによる脳神経系の考え方:彼は、従来の「現実を知覚し、解読し、分類して、表現する」という認識の概念を否定した。神経系の機能は、「『外界の現実』を解読すること」ではなく、「生体が直面している時々刻々変化する状況に一致した行動を作り出すこと」であるとした。図のように、神経系は、知覚入力が運動出力を決め、同時にそれがその逆をも引き起こすという終わりなき「感覚-運動ループ」に、常に没頭している(immersed)状態と言える。彼の神経系の認識を、術語を用いて表現すれば、「構成主義的」な理解(constructivist theory)と言えるだろう。

そして、「神経系は現実を計算するために用いられるのではない(not to compute reality)」「そこに意味は生じない」と考えた。したがって、神経生理学の目的は、「脳がどのように現実を解読しているのか」を明らかにすることではなく、「脳がどのように、生体の状況に一致した感覚-運動状態を創り出しているのか」を明らかにすることであろう。マトゥラーナはこれを「認知生物学」(biology of cognition)と呼び、その理解が生命の理解にとって本質的な問題であるとした。また、一般的に、円環型の因果関係のことをclosure(閉包)と名付け、生体理解の基本概念と考えた。これらの考えは、共同研究者であるフランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)との共著『Autopoiesis and Cognition』(Maturana and Varela, 1980. 邦訳は『オートポイエーシス―生命システムとは何か』河本英夫訳, 1991)で明らかにされた。マトゥラーナのアプローチにより、無限後退の問題は解決したわけではない。しかし、もはや問題解決法としての意味をなさなくなったといってよいだろう。

さらに、彼の当初の報告の脚注には、この感覚-運動ループの考え方は、代謝ネットワーク(すべての構成要素がそれ自体の産生に関与しているシステムである)の理解にも同様に使えるのではないかと書かれている。この脚注を拡張して書いたスペイン語の小本が『De máquinas y seres vivos (機械と生体について)』(Maturana and Varela, 1973.邦訳なし)である(このタイトル名は、ラ・メトリの『人間機械論』やウィーナーの『サイバネティクス:動物と機械における制御と通信』を念頭に置いたものであろう)。ここでは、生体の中心概念であるオートポイエティックシステム(autopoietic system)の定義が述べられている。

すなわち、オートポイエティックな機械とは、「構成素(component)の産生・変換・分解といったプロセスのネットワーク」として構成(organized)されているものである。そして、ここでいう「構成素」とは、
1.自らを相互作用や変換によって創り出す「プロセス(関係)のネットワーク」を、持続的に再生し、実現しているものである。
2.また、オートポイエティックな機械は、ある空間内に具体的な一貫性を持って存在するが、それらの構成素もまたその空間の中で、ネットワークを実現するために特定の部位(topological domain)に存在する。
このように、オートポイエティックシステムによって定義される空間とは、システム自らを含み、かつ、他の空間を定義する次元を用いては表せないものである。とは言っても、われわれが具体的なオートポイエティックシステムに言及する際には、そのシステムをいったん操作することにより、その操作し具合を記述することになる。上の定義が示すように、オートポイエティックシステムは図3に示すような、包まれたシステムである。そこでは、「プロセスのネットワーク」は、さらなる「プロセスのネットワーク」を産出する構成素を産出している。

オートポイエーシスは、下の図3のように、構造的な閉包(structural closure)を形成しているという点が、触媒作用の閉包(catalytic closure)を特徴とする(M,R)システムと異なる。
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(図3)オートポイエーシスを表すモデル:AからSへの実線矢印は、代謝の化学反応を表す。点線矢印は食物取り込みなどの動きを表す。この図は『Emergence of Life- From chemical origins to synthetic biology』(Luisi, 2006、邦訳は、『創発する生命―化学的起源から構成的生物学へ』ピエル・ルイジ・ルイージ著、白川智弘・郡司ペギオ-幸夫訳)の第8章Autopoiesisに描かれた図に基づいている。(ただし、この図ではマトゥラーナのオートポイエーシスの中心概念である、「プロセスのネットワーク」という考えが明確には表現されていない。)

オートポイエーシスは発表後、大変関心をもたれるようになった。ただし、生物学者の間でではほとんど関心を持たれず、ある時は法体系が、ある時は音楽が、そしてある時は廃棄物管理がオートポイエティックだと考えられた。「生命の理解」などという問題はもはや、専門化が進んだ実験生物学者たちによって、あまりに断片化されてしまっていたのである。

(4) ケモトン(Chemoton)
「ケモトン」とは、理論生物学者ティボール・ガンティによりハンガリー語で書かれた論文を英文で出版した著書『The Principle of Life』(Gánti, 2003, 邦訳なし)で述べられた生体のモデルである。ケモトンの本質的な構造は、下の図4のようなものであり、代謝サイクルA、情報サイクルVおよび構造サイクルTから構成される。食物分子XAが変換されることにより駆動力が生じるが、それは環境から得られる。廃棄物はYとして環境に放出される。すなわちケモトンは熱力学的にはオープンなシステムである。代謝サイクルは中間産物A1と他の分子V’およびTを再生し、V’は情報サイクルに入って、T’からTを産生する分子ためのRを産生する。Tは閉じた膜という構造的な閉包(structural closure)をつくるため重合または自己会合する。
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(図4)ケモトンのモデル:すべての矢印は化学反応を表す。両方向矢印は可逆的、一方向矢印は不可逆的な反応を示す。この図は上記の『The Principle of Life』(Gánti, 2003)に基づいている。

ケモトンはその名の通りもっとも化学(chemistry)に基づいた生命の理論と言えよう。しかも、前述のシュレディンガーの「codescript」も情報サイクルVとして取り込まれている。ここで分子pVnは情報を担う多量体で、Tを産生するテンプレート(鋳型)になっている。pVn分子の長さはケモトンの種類によってさまざまで、VとZの2タイプがあり、pVnZmと表され、nやmの数は遺伝すると考えた。このサイクルは代謝のための構成要素を再生することができ、システム自身を産出できる。すなわち、因果関係が閉じている(前述の動力因として閉じている)と言える。

(5) ハイパーサイクル(Hypercycle)
イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスとエオルシュ・サトマーリは、その著書『The Major Transitions in Evolution』(Maynard Smith and Szathmáry, 1995. 邦訳『進化する階層―生命の発生から言語の誕生まで』 長野敬訳)の中で、酵素の構造を決定するには大きなゲノムが必要だが、大きなゲノムを産生し正確に複製するためには酵素が必要であるということに言及するのに、「アイゲン(Eigen)のパラドックス」という呼び名を用いている。現代の進化した生物は酵素と大きなゲノムを持っているためこの問題は回避されるが、原初生命体はおそらくもっと単純なものしかもっておらず、この問題を両方とも満たすのは不可能だっただろう。そして、原始的な生命は大きなエラーを起こしやすく、このエラー・カタストロフィによって死滅してしまうと考えられる。そこで、ドイツの生物化学者マンフレート・アイゲンと理論化学者ペーター・シュスターは、このパラドックスを回避するためハイパーサイクルという概念を提案した(Eigen and Schuster, 1977)。「2度のハイパーサイクルの現実的なモデル」というのは図5のようなものである。情報を担うRNA分子であるIiが酵素Eiの構造を決定する、Eiのそれぞれが異なる酵素を作る情報分子の複製を触媒する。詳細な確率計算を行うと、この種のシステムはエラー・カタストロフィを起こさないで生存できることが示されている。
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(図5) 2度のハイパーサイクル:システムは4つの酵素E1-E4と、情報を担う4つのRNA分子I1-I4からなる。情報分子Iiは対応する酵素Eiの構造を決定し、さらに、それらの酵素が次の情報分子Ii+1の複製を触媒する。ここには明らかな「化学反応」がなく、「代謝はない」ということに注意。

(6) 生命の始まりにおける自己触媒(Autocatalysis)
さらに、生命の始まりにはこのような自己触媒のサイクルが不可欠であることがキングによって提唱された(King GAM, 1977, 1982)。「さまざまな自己触媒サイクルの相互作用により、大きなシステムが形成される」ことは、シムビオーシス(symbiosis)と呼ばれ、生命の初期段階における進化のプロセスと考えられた(ここでのsymbiosisは、現代における異種生物間の「共生」とは全く別の意味で用いられていることに注意)。単一の自己触媒サイクルのみでは、そのサイクルの基質が突然消失してしまうような危機的状況が起こると、システムは死滅してしまうが、シムビオーシスによりそれが回避され長期の安定性を保つことができる。現代でも、分子のリサイクルによって自己触媒サイクルの安定したシムビオーシスが保たれることを正確に示した例がある(Fernando, 2005)。Kingのこの相互依存する自己触媒サイクルという考え方は、今まで述べてきた閉包の概念と同じものであろう。

(7) 自己触媒セット(Autocatalytic set)
多くの研究者が「生体システムにはどんな特性が必要になるだろう」と考えたのに対し、フリーマン・ダイソン(Dyson, 1982)とスチュアート・カウフマン(Kauffman, 1986, 1993)は「偶然集まった分子の集合から自己組織化が生まれる条件とは何か」ということを考えた。アメリカの理論生物学者・複雑系研究者であるカウフマンは、自己触媒集合(autocatalytic set)として以下のようなものを定義している。触媒作用の閉包(catalytic closure)が維持されていて、この状態のすべての構成素が他の何らかの構成素による反応の最終ステップになっている。このような状態が維持されるために、外部から取り入れる物質(food set、食物集合)の酵素反応の結果得られた化学エネルギーが必要である。この定義は図6のように表される。
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(図6)カウフマンの自己触媒集合:前駆体である丸で囲んだA、B、Cは環境から得られ、灰色の薄い文字で表示される多量体以外のすべての多量体は、集合の構成素による反応(実線矢印で表示、これは質量因にあたる)と触媒反応(点線矢印、動力因にあたる)によって作られる。触媒されない反応は灰色矢印で表されている。この図は、自己触媒集合が、分子の偶然の作用によって自発的に形成される秩序であることを意図的に強調するために、一見乱雑に書かれている。

図6で、分子ABCCは以下の反応で産生されるとする。
     ABC        AABABCB       ABCBABCC
A+B → AB; AB+C    →     ABC; ABC+C     →     ABCC

上段(斜字体のアルファベット)が酵素であり、下段のアルファベットが反応物を示す。
しかし、ABCCが産生される過程はこれだけでなく、下記の反応でも産生されうる。

      ABC      ABCC   
A+B → AB; C+C    →   CC; AB+CC → ABCC
上記の最後のステップは酵素なしで自発的に進行する反応である。このように酵素なしで進むステップがあってもよい。また、AABABCAAAABが形成される反応はない(薄い灰色で書かれている)ため、この分子はこの自己触媒集合の構成素ではない。ABCBは触媒する作用を持たないが、この集合の構成素と考える。カウフマンは、このような模式図で表されうる集合が自発的に形成されるのが生命と考えた。

(8)Sysers (Systems of self-reproduction; 自己再産生システム)
White(1980)、RatnerとShamin(1980)、Feistel(1983)によって独立に提唱された理論で、ハイパーサイクルをより現実的に突き詰めたものとなっている。ウラジミール・レチコ(Red’ko, 1986, 1990)によって図7のようなモデルが作られている。
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(図7) Syserのモデル:マトリックス分子は2つの酵素(マトリックスを複製する複製酵素E1と2つの酵素の合成を行う翻訳酵素E2)の合成に必要な情報を含んでいる。この2つ(黒字部分)が最小限のsyserであり、適応syseは灰色部分の要素と過程を含んでいる。それらは、適応酵素の合成のスイッチをon/offする調節酵素E3、環境にある物質から利用可能な基質を産生する適応酵素E4である。

このようなsyserは図7に見るように、すべての要素がシステムそれ自体によって作られるため、因果関係が閉じていると言える。しかし、このシステムが成長し、自身を維持するために、さらに環境物質から利用可能な分子を産生する適応酵素E4を含む「適応syser」が想定されている。E2は2つの異なる過程を触媒する多機能蛋白(moonlighting protein)であり、これは閉包を形成するためには必要である。もしE2がマトリックスをE1に翻訳する過程のみを触媒するのであれば、E2への翻訳を触媒する他の酵素が必要ということなり、さらにそれが産生させる過程を説明しなければならなくなる。これでは、またその次の酵素を想定するという無限後退に陥ってしまう。

(9) RAFセット
カウフマンの自己触媒セットをコンピュータによって記述するための形式として、HordijkとSteel(2004)によって提唱された(Reflexive Autocatalytic systems generated by a Food setの略である)。RAFセットでは、すべての反応物はシステムが産生するか、環境から取り入れたもの(必ずしもすべてが内部のみで産生されるとはしていない)である。したがって、このシステムは因果関係で閉じてはいるものの、(M,R)システムよりは生命の定義としては弱いものである。すなわち、すべての(M,R)システムはRAFセットと言えるが、逆は言えない。RAFセットの概念をもとにして(M,R)システムを解析するための強力なアルゴリズムが作成されている。

【結論】
上記で見た閉包に関する諸理論はお互い重なるところが多いが、それらの間のコミュニケーションや相互参照と言ったものはほとんど見られない。例えば、ローゼンが提唱する触媒の閉包(catalytic closure)はマトゥラーナとヴァレラには見られないし、マトゥラーナとヴァレラが提唱する構造的な閉包(structural closure)はローゼンには見られないものである。さらには、各理論間で同じことを違う言葉で言ったり、違うことを同じ言葉で言ったりしていることがある。

上記の諸理論の生命のモデルを、表のような項目を満たしているかということをもとに比較した。項目は①熱力学的な開放系か、②酵素による触媒作用があるか、③触媒作用の閉包になっているか、④構造的な閉包になっているか、という点である。表にあるように、今までの諸理論はいくつかの項目を満たすものの、すべてを満たす「理想的」理論というものはまだ存在していない。

(表1) 生命に関する諸理論の特徴:理想的な理論にとって必要と思われる4項目を満たしているか? (①熱力学的な開放系か、②酵素による触媒作用があるか、③触媒作用の閉包になっているか、④構造的な閉包になっているか)
    理論         ①       ②       ③      ④          
(M,R) systems      Yes      Yes     Yes    No
Autopoiesis        Yes      No     No    Yes 
Chemoton         Yes         No     No   Yes
Hypercycle       Implied       Yes    Yes     No
Symbiosis        Unclear      Yes    Yes     No
Autocatalytic sets    Implied    Yes    Yes   No
Syser            Implied    Yes    Yes   No
RAF sets           Yes    Yes    No   No
"Ideal theory’’      Yes     Yes     Yes    Yes

RNAワールド仮説や16S rRNAを用いた原核生物の系統分類を考案したアメリカの微生物学者カール・ウーズ(Woese, 2004)はこう述べている。「十分な技術の進展がなければ、進歩の道は閉ざされてしまう。しかし、その技術を導く視点(guiding vision)がなければ、道はなく、先に進めないだろう」。生命理解のための技術革新は不可欠だが、この総説で見たような「導く視点」も同時に必要であろう。
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by md345797 | 2014-01-04 18:39 | その他