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ストレスはRAC1のエピジェネティックな発現低下をもたらし、シナプスのリモデリングと抑うつ行動を起こす

Epigenetic regulation of RAC1 induces synaptic remodeling in stress disorders and depression.

Golden SA, Christoffel DJ, Heshmati M, Hodes GE, Magida J, Davis K, Cahill ME, Dias C, Ribeiro E, Ables JL, Kennedy PJ, Robison AJ, Gonzalez-Maeso J, Neve RL, Turecki G, Ghose S, Tamminga CA, Russo SJ.

Nat Med. Published online Feb 17, 2013.

【まとめ】
抑うつは脳の報酬回路のシナプスに可塑的変化を起こすことが知られているが、その分子機構と行動への関与については不明である。本研究では、報酬・快感・恐怖などに重要な役割を果たしている側坐核(nucleus accumbens, NAc)において、シナプス構造の調節因子として知られているRho GTPase関連遺伝子の転写プロファイリングを行った。その結果、マウスに慢性の社会的ストレス「social defeat stress(社会的敗北ストレス)」を与えた後では、NAcにおいてRac1の発現が低下していることが明らかになった。これは、Rac1プロモーター周囲のクロマチン状態(ヒストンのアセチル化とメチル化)が転写抑制的(repressive)に変化したためであることが分かり、class 1 HDAC阻害剤MS-275を投与すると、社会的敗北ストレス後のRac1発現低下と抑うつ関連行動が起こらなくなった。また、大うつ病性障害のヒトの死後脳のNAcにおいてもRAC1プロモーター周囲のクロマチン状態は転写抑制的に変化しており、実際RAC1発現は減少していた。

さらに、マウスにおいて、ウイルスベクターを用いてNAcでのRac1発現を抑制すると、社会的敗北ストレスを与えた後の社会的回避(引きこもり)や快感消失症状が増悪した。慢性的な社会的敗北ストレスを与えると、NAcの中型有棘ニューロンの樹状突起において、隆起型の興奮性スパイン(stubby excitatory spine)が形成される。これはRac1下流のアクチン提供蛋白であるコフィリンの再配分によるものである。マウスのNAcに恒常活性型のRac1を過剰発現させておくと、社会的敗北ストレスを与えても、樹状突起において隆起型スパインの形成が起きず、それに伴って抑うつ関連行動も起きなかった。

以上の結果から、NAcにおけるRAC1のエピジェネティックな調節は、社会的ストレス後の抑うつ関連行動の発現を調節する分子機構であることが明らかになった。

【論文内容】
大うつ病性障害(major depressive disorder: MDD)は治療に抵抗性を示し、寛解持続期間が短い場合があるなど、治療困難なことが多い。抑うつのメカニズムについては、従来からのモノアミン仮説を初めとするさまざまな説があるが、その一つが興奮性シナプス構造の調節異常によるというものである。実際、マウスに慢性の社会的敗北ストレス(後述)を与えると、脳の側坐核(NAc;抑うつの際の報酬関連機能の障害を調節する領域)の中型有棘ニューロンにおいて、シナプスの構造的・機能的可塑的変化が起きる。しかし、このようなストレスによるシナプスの構造変化の分子メカニズムは不明であった。

マウスにおける社会的敗北ストレス後のRac1の転写調節
Rac1のようなsmall Rho GTPaseは、ニューロンの樹状突起スパインの維持のためにアクチン細胞骨格の再構成を調節する役割があり、シナプス構造を調節する重要な因子となっている。そこで、この研究ではまず、マウスに社会的敗北ストレスを与えた後のNAcにおけるsmall Rho GTPaseシグナル関連遺伝子の発現変化をマイクロアレイを用いて検討した。本研究での「社会的敗北ストレス」とは、C57BL/6Jマウスを、より大きく攻撃的なCD-1マウスと連日繰り返し戦わせて敗北させることにより、社会的回避(引きこもり)や快感消失(マウスではショ糖を好む性質が消失する)などの抑うつ関連行動を起こさせる方法である。C57BL/6Jマウスの多くは、このような敗北ストレスに影響を受けやすい(susceptible)マウスであるが、1/3程度はそうでなく社会的回避や快感消失を起こさない回復力(レジリエンス)を持った(resilient)マウスである。このようにストレス関連の行動形質には個体差があるため、この差を利用して抑うつ行動の分子機構を探ることが可能である。

社会的敗北ストレスを与えた後のsusceptibleマウスとresilientマウスのNAcにおけるRho GTPase関連遺伝子の発現を検討したところ、13種の遺伝子のうちRac1がsusceptibleマウスのみで選択的にストレスによる発現変化を示した。敗北エピソードの48時間後にはRac1の発現は大きく低下しており、Rac1の発現低下は社会的回避行動と相関があった。このsusceptibleマウスに抗うつ剤(imipramine)の連日腹腔内投与を行うと、NAcにおけるRac1発現の低下は50%程度のマウスで予防できた。

マウスにおける社会的敗北ストレス後のRac1発現のエピジェネティックな調節
上記のNacにおけるRac1の発現低下にエピジェネティックな調節が関与している可能性を考え、マウス脳のChromatin immunoprecipitation (ChIP)解析を行った。クロマチン状態の変化(ヒストンの修飾)には、転写を許可し(permissive)遺伝子発現を促進するヒストンH3 アセチル化(acH3)と、転写を抑制し(repressive)遺伝子発現を抑制するヒストンH3 Lys27トリメチル化(H3K27me3)がある(下の参考図を参照)。本研究において社会的敗北ストレスを与えたsusceptibleマウスのNacでは、Rac1のプロモーターと2000bp上流の領域にわたって)H3アセチル化が減少していた。逆に、resilientマウスではRac1プロモーター領域でH3K27メチル化が減少し、susceptibleマウスではRac1プロモーター上流のH3K27メチル化が増加していた。

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(参考図) 
上段:Permissiveな(転写を「許可する」=遺伝子発現を促進する)ヒストンアセチル化と、下段:repressiveな(転写を「抑制する」=遺伝子発現を抑制する)ヒストンメチル化。
中段は、HDAC(ヒストン脱アセチル化酵素)とHAT(ヒストンアセチル化酵素)によるアセチル化調節およびHMT(ヒストンメチル化酵素)によるメチル化調節による,
permissiveとrepressive間の「スイッチ」を表す。
Eberharter A, Becker PB. Histone acetylation: a switch between repressive and permissive chromatin. EMBO Rep. 3(3):224-9, 2002より引用)

社会的敗北ストレス後のsusceptibleマウスではH3アセチル化が減少していたので、(H3アセチル化を増加させる目的で)class 1 HDAC阻害剤MS-275をNAc局所に10日間浸透圧ミニポンプを用いて投与した。その結果、Rac1 の発現が正常化し、それまで認められていた社会的回避は見られなくなった。したがって、Rac1のエピジェネティックな調節は、社会的敗北ストレスと抑うつ行動をつなぐ分子メカニズムであることが示唆された。

大うつ病性障害の患者におけるRAC1の発現調節
次に、大うつ病性障害(MDD)患者の死後の病理解剖で得た凍結NAc組織を用いて、同様の検討を行うこととした。MDD患者の病理組織は、独立した2つのコホート(テキサスとモントリオール)から得た。両方のコホートで、抗うつ剤投与を受けていなかった患者の場合、MDD患者のNAcでは正常者と比較してRAC1発現が大きく低下していた。抗うつ剤投与を受けていた患者の場合は、モントリオールコホートにおいて、健常者と同程度の高いRAC1発現を示すものと抗うつ剤投与を受けていなかった患者と同程度の低い発現を示すものの二峰性の分布が認められた。(すなわち、抗うつ剤が効いていた患者と効かなかった患者がいた。実際、マウスの実験においても、susceptibleマウスのRac1 発現低下で抗うつ剤投与によって正常化したのは50%程度であった。)

さらに、凍結ヒト死後NAc組織におけるRAC1遺伝子のクロマチン状態を調べた。その結果、RAC1遺伝子配列の約200bp上流領域と転写開始部位( transcription start site; TSS)の下流領域でH3アセチル化が減少し、TSSの約200bp上流領域でH3K27メチル化が増加していることが明らかになった。なお、RAC1 mRNA発現とプロモーターアセチル化とメチル化の状態は、それぞれ正と負に相関していた。(図1)

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(図1)上段:大うつ病性障害患者の側坐核における、RAC1プロモーターのH3アセチル化(acH3、左)と、H3K27メチル化(H3K27me3、右)の変化。
下段:RAC1プロモーターのH3アセチル化はRAC1発現と正の相関を示し、H3K27メチル化はRAC1発現と負の相関を示した。

Rac1発現低下は抑うつ関連行動を引き起こす
次に、NacでのRac1の発現を変化させたマウスに、社会的敗北ストレスまたは弱い微小敗北ストレス(microdefeat)を与える実験を行った。Microdefeaとtは、C57BL/6JマウスをCD-1マウスと5分戦わせて15分引き離すことを3回繰り返すのみの弱いストレスで、この程度のストレスでは、社会的敗北ストレスと違って社会的回避や快感消失までは起こらない。

実験では、herpes simplex virus (HSV)による遺伝子導入を用いて、GFP、dominatnt-negative Rac1(RacDN)、constitutively active Rac1 (RacCA)のいずれかとCre recombinase、という2つの発現遺伝子を含む(bicistronic)ウイルスを、floxed Rac1 (Rac1 flox/flox)マウスのNAcに直接注入した。このマウスにHSV-GFP-Creを注入すると、NAc局所のRac1発現はノックダウンされる。これによりNAcでRac1発現が消失すると、microdefeatを与えられた場合であっても社会的回避と快感消失が起こるようになる(ストレスに対してsusceptibleになる)。同じくRacDNを過剰発現させた場合も、microdefeatに対する感受性亢進形質(pro-susceptibility phenotype)を示した。逆にRacCAを過剰発現させると、(強い)社会的敗北ストレスを与えられた場合も、社会的回避や快感消失という感受性形質(susceptible phenotype)は起こらなかった。

Rac1はストレスによる興奮性樹状突起スパインの形成を起こす
マウスに慢性的な社会的敗北ストレスを与えると、NAcの中型有棘ニューロンにおいて、未成熟型の隆起型樹状突起スパイン(stubby dendritic spines)の形成が促進される。この変化によって後シナプス密度が低下し、興奮性刺激の頻度が大きく増加する(シナプスの不安定性がもたらされる)ことが、これはマウスの抑うつ行動の発現に必要十分であることが分かっている。このようなストレスによるスパイン形成のメカニズムを理解するため、Rac1の下流のターゲット分子であり、スパイン形成のためのアクチン提供に必要なコフィリン(cofilin)に注目した。すなわち、慢性的な社会的敗北ストレス後のNAcの中型有棘ニューロンの樹状突起をコフィリンの免疫組織染色と重ね合わせた三次元再構成像を作製した。その結果、慢性的な社会的敗北ストレスによって、コフィリン陽性の隆起型スパインが選択的に増加した(隆起型以外の通常型(thin type)やキノコ型(mushroom type)のスパインは増加しなかった)。

ところが、RacCAを過剰発現させたsusceptibleマウスのNAcでは、社会的敗北ストレス後の隆起性スパイン形成は減少していた。この隆起型スパインの密度は社会的回避行動と逆相関があった。すなわち、Rac1過剰発現によって隆起型スパイン形成が減少すると、社会的回避行動が増加する傾向が認められた。

最後に、Rac1の発現低下だけでNAcで隆起型スパイン形成が起こるのかを検討した。NAc特異的にRac1を欠損させると、それだけで通常型と隆起型の両方のスパイン形成が増加した。さらにこのマウスにmicrodefeatを与えると、与えないときに比べて隆起型スパインの密度が2倍に増加した(図2)。NAc特異的なRac1欠損によって隆起性スパイン密度が増加すると、社会的回避が増加する傾向が認められた。

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(図2) 側坐核(NAc)の中型有棘ニューロンの樹状突起の三次元再構成像:NAc特異的にRac1を欠損させたマウス(下の2つ)では、コントロールマウス(上の2つ)に比べて、隆起型スパイン(白矢印)と通常型スパイン(青矢印)の密度が増加した(他のキノコ型棘突起(黄色矢印)の密度は変わらなかった)。
NAc特異的Rac1欠損マウス(下の2つ)で、microdefeatストレスなし(上から3番目)とストレスあり(一番下)を比較すると、ストレスありのRac1欠損マウスで隆起型スパイン(白矢印)が増加していることが分かる。なおこの隆起性スパインの増加は、社会的回避(抑うつ行動)の増加と相関していた。

【結論】
本研究では、①慢性的な社会的ストレスが与えられると、マウスおよびヒトの側坐核においてRac1発現が低下する。②このRac1発現低下はエピジェネティックなメカニズム(Rac1プロモーターのH3アセチル化減少とH3K27メチル化増加)によるものであることが明らかになった。さらに、③社会的ストレスによるRac1発現の減少が、Rac1下流のコフィリンの局在の変化を介して、中型有棘ニューロン樹状突起の隆起型スパインを増加させ、これがシナプスの不安定性をもたらすことにより、社会的回避などのストレス行動が起きるというメカニズムが解明された。

上記の結果に基づくと、RAC1プロモーターのエピジェネティックな変化に対する治療(すなわち、ヒストン脱アセチル化抑制、脱メチル化促進)によって抗うつ効果が期待できそうである。ただし、そのような治療はゲノム全体に影響を与える可能性があるため、より遺伝子特異的なエピジェネティックスに対する治療戦略(最近のzinc finger artificial transcription factorsなど)が求められるだろう。
by md345797 | 2013-02-27 05:48 | シグナル伝達機構