From L'Homme Machine to metabolic closure: steps towards understanding life.
Letelier JC, Cárdenas ML, Cornish-Bowden A.
J Theor Biol. 2011 Oct 7;286(1):100-13.
【まとめ】
生命の本質を理解したい、と人間が思い始めたのはいつからだろうか?人間が生命を機械論的な用語で語るようになったのは、18世紀のラ・メトリ『人間機械論』(
L'Homme Machine)からであった。1950年代から始まった分子生物学は、生命の細部のメカニズム解明に大きく貢献した。しかし、これによって他の研究者の研究内容がお互いにほとんど理解できないくらい、専門の細分化が進んでしまったとも言える。その間にも、生命の本質についてさまざまな取り組みがなされ、多くの理論が作られてきた。これらは、(
M,R)システム、オートポイエーシス、ケモトン、ハイパーサイクル、シムビオーシス、自己触媒集合、Sysers、RAFセットなどである。これらの理論は全く同じ内容ではないが、そこには重要な共通概念が存在している。それは、「生体を維持する代謝に必要なすべての酵素は、生体そのものによって生産されなければならない」というような概念である。この概念は、システムが「閉じている」という意味で
closure (閉包)と呼ばれている(
注1)。この
代謝における閉包(metabolic closure)は生命の重要なモデルと思われるが、その概念をすべて含むような理想的な生命論はいまだ存在していない。
(
注1) ここでは「closure」の訳語として、集合が閉じているというような意味を援用して、数学の位相空間論などで用いられている「
閉包」を当てた。哲学の一分野である「心の哲学」で「causal closure of physics」が「
物理的領域の因果的閉包性」、後述のオートポイエーシス用語で「operational closure」が「操作的閉包性」と訳されている例がある。なお、closureの他の訳語としては「閉域」「閉鎖」などが使われている。
【総説内容】
1. 「生命の理解」のための小史
(1) ラ・メトリの『人間機械論』
フランスの医師
ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(Julien Offray de La Mettrie)の著作『
人間機械論』(
L'Homme Machine, 1748)は、生命をからくり時計(clock automata)の比喩で説明した機械的、無機的生命論であった。当時の宗教では、生命の根底に何らかの霊的な存在があると考える生気論(vitalism)が一般的であったため、ラ・メトリの著作は大きな論争を巻き起こした。1760年代のハイテクノロジーであったギアやシャフトをモデルにしている、この『人間機械論』は、現代人から見ると大雑把なものに感じられるかもしれない。しかし、ラ・メトリの説には実は現代に通じる先見性があった。というのは、この機械論は後でも述べるように、「生命は、それを中心でコントロールする存在を想定することなく、局所で働く連動した要素によって全体の振る舞いが決まるシステムである」という考え方であり、これこそが、その後の分子や化学に基づく生命の理解と共通する重要な概念になっているからである。
(2) 酵素触媒の化学反応としての生命
1900年までに、生体は、熱力学に依存した酵素触媒の化学反応ネットワークである代謝(metabolism)に基づいて明快に説明できると考えられるようになった。そのため、生命は、医師
ステファヌ・ルデュック(Leduc, 1912)によって浸透圧成長(珪酸ナトリウムの溶液に硫酸銅や硫酸鉄などを入れるとちょうど庭の木のような形に結晶を形成する反応。
Chemical gardenとも呼ばれた)という無機的な反応に譬えられた。ここからルデュックは構成的生物学(synthetic biology)という用語を導入したが、これは生きていることのダイナミクスの理解よりも生体の形態形成に焦点を置いたものであった。
(3) ラシェフスキーと関係生物学
ウクライナ生まれの医師ニ
コラス・ラシェフスキー(Rashevsky)は、シカゴ大学に移って関係生物学(relational biology)の基礎を作った人物である。彼のグループの膨大な仕事のほとんどは現在残っていない。彼の計算による詳細なモデル化は実験的事実と合わず、例えば彼による「神経のインパルスの伝播」(1931)は、のちに膨大な実験に裏打ちされたシンプルな「神経軸索モデル」(Hodgikin and Hucley, 1952)によって完全に置き換えられている。しかし、ラシェフスキーは1954年になって、生物学的システムの原則について最初に報告し、計測に基づくのでははく、関係に基づく関係生物学的アプローチを確立した。すなわち、生体システムの詳細に重点を置いた半定量的なアプローチではなく、生体システムの組織化(organization)に目を向けた新しいアプローチの必要性に初めて気づいたのだった。ラシェフスキーは生体を物質としてではなく、システムとしての特性の観点からその組織化を考えたのであり、この議論は現在にも通用するものである。彼の投げた最初の石は、やがて彼の弟子であった
ロバート・ローゼン(Robert Rosen)によって独特な進化を遂げることになる。
(4) サイバネティックスと生体の組織化
1950年代、60年代を通して、
ノーバート・ウィーナー(Wiener 1948)の創始した
サイバネティックスが大きな興奮を持って受け入れられた。それは、一つは
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校における
Biological Computing Laboratory (BCL)の設立として結実した。サイバネティックスはのちの
自己組織化(self-organization)の考えにも強く影響したため、当時BCLに在籍していたマトゥラーナが創始する後述のオートポイエーシスの用語にはサイバネティックスに由来するものが多い。サイバネティックスは今では、「自分自身と相互作用し自分自身から自分自身を創生するシステムと過程(systems and processes that interact with themselves and produce themselves from themselves)」についての研究である、という
スチュアート・カウフマン(アメリカの複雑系研究者)の言葉によって理解されている。
(5) 分子生物学の始まりと、自己組織化への関心の衰退
これらとは別の流れとして、遺伝性を担う化学物質としてDNAが単離され、
ジェームズ・ワトソンと
フランシス・クリック(Watson and Crick, 1953)によって、それが二重らせん構造を持つことが明らかになると、それは分子生物学として、爆発的な生命の理解につながった。分子生物学の始まりによって、生命の機械論的な理解が大きく進み、ひいては「DNAの複製こそが生命なのではないか」とまで考える説も現れた。しかし、分子生物学者が年々増加する一方で、「生命の自己組織化は単なる機械論では説明がつかないのではないか」などということに関心を持つ研究者は少なくなっていった。そこにはそれら少数の研究者たちを、「生命が機械でないなら、それではそこに何か霊的な存在でも考えるのか?」という生気論に追いやる空気があったことも一因であろう。
また、分子生物学によって生命は強力なコンピュータに喩えられるようになった。代謝ネットワークにおいて「コード」「オン/オフスイッチ」などの言葉が使われ、遺伝子は「プログラム」を持ち「情報」を担うものであるなど、すべてもとはコンピュータ用語である。これでは、冒頭でラ・メトリが考えたシャフトが回転しレバーが運動する鋼鉄の機械が、分子生物学では複雑な蛋白や核酸の協調運動によって置き換えられているに過ぎないとも言える。しかし実はラ・メトリは、以下のように書き遺している、「
人体は自らのばねを自ら巻く機械である。これが死ぬまで運動を続ける生体のイメージである」と。ここには後述する自己組織化の萌芽が見られ、これがコンピュータの比喩ですべて説明がつくと考えている分子生物学的機械論に欠如している視点とは考えられないだろうか。
(6) シュレディンガーの『生命とは何か』
理論物理学者
エルヴィン・シュレディンガー(Schrödinger, 1944)は、その著書
What is Life?(邦訳は『
生命とは何か-物理的にみた生細胞』岡小天、 鎮目恭夫訳)で生命の3つの原則を短く表している。(1)生体は「負のエントロピーを食べている」、(2)子孫に伝えるべき情報が書かれた、「暗号による脚本(codescript)」がある、(3)生物学は物理学に比べより一般的な法則に従い、生物には物理では不要な法則が必要なのだろうと思われる。
これらうち、一番目は現在では生体は熱力学の法則に従うということ、二番目の暗号の概念はDNAの観点から完全に解明されたことといってよいだろう。しかし、三番目の「生物学は物理学より一般的」という発想は、その後は大方無視されてきた。ダイナモ理論で知られる物理学者
ウォルター・エルサッサー(1964)と前述の理論生物学者ローゼン(1991)が真剣に検討したのみであり、そのエルサッサーもオペロン説で有名な
ジャック・モノーの『
偶然と必然』(1971)で厳しく批判されている。確かに、現在までに「物理学に不要で生物学には必要な法則」は見つかっていないが、シュレディンガーが完全に間違っていたことが証明されたわけでもない。しかも、このようなことをその時代の生物学者ではなく、当代随一の物理学者であるシュレディンガーが書き残していることは興味深い。なお、「物理以外の法則を具体的に表現することはできない」と考えている今日の数学者
ミハイル・グロモフがこのシュレディンガーの可能性を引用している例もある(Gromov, 2011)。もちろん物理法則は生物にとって「必要」条件ではあるだろう。しかし、「十分」条件と言えるだろうか。そして、物理学の法則の中でさえ「統一理論」ができていない現状を考えると、「物理学に当てはまらない生物の法則などあるはずがない」と断定するのは妥当ではないとも言える。
(7) システム生物学(Systems biology)
今でこそ21世紀のヒトゲノムプロジェクトの申し子のように考えられている「システム生物学」であるが、その語源は大分古く、1968年にユーゴスラビア出身の科学者ミハイロ・メサロビッチ(Mesarović, 1968)が初めて用いたものである。そもそも、システムの概念自体が、
ルードヴィッヒ・フォン・ベルタランフィが提唱した「
一般システム理論」(von Bertalanffy, 1969)に基づいている。この時期は、前述のラシェフスキーやサイバネティックスと同時代であり、代謝の酵素による動力学的な解明が続いた時期でもあった。しかし、この時代の酵素の反応速度論は、生命の理解とその後の代謝閉包(次節で詳述)の理解には直接結びつかなかった。
2. 生体の基礎となる代謝閉包(metabolic closure)の諸理論
生命はその代謝をつかさどる何千もの生化学反応からなるが、その本質は「
代謝をつかさどる酵素は、それ自体が代謝による産物である」ということである。このように、代謝とは「円環状(circular)」なものなのであり、ラ・メトリによれば「自らばねを巻く機械」、ローゼンによれば「因果関係が閉じている組織」なのである。
(1) 無限後退(infinite regress)と閉包(closure)
ここでまず、自己組織化するシステムにはいくつもの特定の酵素が必要であることを考えよう(
注2)。それら特有の酵素が生産されるためには、それぞれに対して他の酵素が必要である。それらの酵素にも同様に他の酵素が必要である、それらの酵素にも同様に他の酵素が必要である・・・。このような同じ型の説明が無限に続くことは、
無限後退と呼ばれる。この問題を回避するために、「閉包」ということを考えよう。例えば、生体においては、それぞれの酵素はすべてリボソームが合成している (もちろんリボソーム自体もリボソームが合成している)。また、酵素の分解はすべてユビキチン-プロテアソームシステムにより処理されていることが発見された(ここではプロテアソーム自体もユビキチン-プロテアソーム自体により分解される)。このように閉じたシステムの概念が閉包であり、これにより説明の無限後退は回避される。次節以降では、このような閉包の概念を歴史を追ってより詳しく見てみていこう。
(
注2) 上記の記述で酵素と書いているものは、原文でcatalysts(触媒)と書かれているものもある。しかし、原文の注釈でcatalystsは代謝に必要なenzymes(酵素)であるとの記述もあり、混同を避けるためここではどちらも「酵素」とした。
(2) (M,R)システム
(
M,R)システムの概念は、アメリカの理論生物学者
ロバート・ローゼンによって作られた(1598年から1975年に至って提唱され、1991年に『
Life Itself』にまとめられた)。この名称は、metabolism-repair systemの略であるが、ローゼンのいうrepairとは、通常用いるDNA修復のような明確な意味ではなく、ローゼン理論の本質を考えると、補充(replacement)と呼ぶべきものである。システムが成長するにつれて分解または拡散によって失われてしまう酵素を持続的に補充する能力を持つのが(
M,R)システムである。これは閉包と呼ぶことができるだろう。生体はこのような
動力因(efficient cause:アリストテレス形而上学における「結果を生み出す働き」、木の椅子があるとするとそれを作った家具職人)を持ち、代謝に必要な酵素はすべて代謝それ自体の産物である、とする考え方である。生体システムは外部からの酵素活性によって維持されてはいない。もちろん生体は熱力学的には開かれたシステムであり、外界との化学エネルギーの流れは存在するだろう。それはアリストテレスの言う
質量因(material cause:椅子にとっては原料である木)として分けて考える。生体そのものが動力因を産生するということは、
目的因(final cause:椅子にとっては座るという目的)は不要ということも意味している。下の図1は、ローゼンの(
M,R)システムが、
酵素による触媒作用の閉包(catalytic closure)を形成していることを示したモデルである。
(図1) ローゼンの(M,R)システム:実線矢印は代謝産物AがBに変換される化学反応による物質の変化(アリストテレスの言う「質量因」)を表す。酵素fから出る点線矢印はそれを触媒する酵素反応(ここではCatalysisをそう呼ぶ。アリストテレスの「動力因」)である。この酵素fはBによって(生体自体の働きで)持続的に「補充」されるが(Replacement)、その補充を支える酵素Φを作り出すのも酵素fの作用である。Φの「動力因」はもともとは代謝産物Bの特性であるβであるため、このシステムは閉じており「閉包」(Closure)を形成している。これは触媒作用の閉包(catalytic closure)と呼ぶことができる。
上図は「質量因」ではなく「動力因」として閉じており(=物質の出入りという観点ではなく、因果関係という観点から閉じたシステムであり)、外部からの「動力因」はなく、全体として「目的因」もない(=外部からの因果関係の作用はなく、外部に対する目的のようなものも見られない)。なお、点線矢印の栄養素(nutrients)からAへ、Bから廃棄物(waste)へは、生体は熱力学的にはオープンなシステムであり、「質量因」としては閉じていないことを示している。
次項は(2)に続く