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代謝閉包(Metabolic closure)とは何か: 生命の理解のためのさまざまな理論(2)

From L'Homme Machine to metabolic closure: steps towards understanding life.

Letelier JC, Cárdenas ML, Cornish-Bowden A.

J Theor Biol. 2011 Oct 7;286(1):100-13.

(前項からの続き)

(3) オートポイエーシス(Autopoiesis)
1960年代以来今日に至るまで、脳神経システムは次のような比喩で表されるものであった。すなわち、インプットされた感覚情報を解読し、分類し、観察された対象に対して正しい運動行動を選択する情報処理機器である。このような考え方は神経科学者の間でも自然に持たれる、一般に普及した概念だろう。すべての知覚は特定のニューロンによって解読されると考えられた。アメリカの認知科学者ジェローム・レトビンは、ちょうど孫娘がおばあさんを見たときにだけ発火する「おばあさん細胞」があるかのように考えている(Lettvin, 1959)。

しかし1963年、視覚に関する神経生理学の論文を書いていたチリの神経生理学者ウンベルト・マトゥラーナ(Humbert Maturana)はこの考えに疑問を持ち、「おばあさん細胞などというものを想定したら、知覚したそのもの(表象:perceptすなわち、おばあさん自体)ではなく、その表象を知覚する細胞が必要だろう。そしてさらにそれを知覚する細胞が必要となり・・・」と組み合わせ爆発(combinatorial explosion)を起こしてしまう、したがってそのような表象主義的な(representationist)視点はおかしいと考えた。多くの人が、前項でローゼンが克服した無限後退ときわめてよく似た無限の連鎖に陥りかけていたのである。

その後、イリノイ州のBiological Computing Laboratoryへ1年間の研究休暇に赴いたマトゥラーナは、連日のシステムや人工知能についての議論の成果を報告書に(Maturana, 1970)に書いたが、その中で「脳をコンピューターとして理解しようとするのは根本的に誤っている。なぜなら、神経系は外を見ているのではなく、内を見ているからである(the nerve system does not look out but in.)」と述べている。すなわち彼は、神経系とは「外界の現実を解読する機械である」と考える代わりに、「生体が現在置かれている状況に一致した動きを作り出す特性をもったシステムである」と考える、新しい比喩を提案したことになる。言い方を変えれば、従来の「外界を知覚して解読し、解読した知覚を内部で表現する」という神経系のモデルから、新たに「常に感覚と運動が協調した特殊な状態にある」というモデルを考えた。これは、図2のように、いかなる瞬間も知覚入力のすべてが非知覚部分(運動)の内部状態を変化させ、それが再び知覚の変化を起こす、という無限ループであり、このようなある感覚-運動協調状態(state of senso-motor coordination)が次の感覚-運動状態に遷移していくだけであると考えた。
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(図2) マトゥラーナによる脳神経系の考え方:彼は、従来の「現実を知覚し、解読し、分類して、表現する」という認識の概念を否定した。神経系の機能は、「『外界の現実』を解読すること」ではなく、「生体が直面している時々刻々変化する状況に一致した行動を作り出すこと」であるとした。図のように、神経系は、知覚入力が運動出力を決め、同時にそれがその逆をも引き起こすという終わりなき「感覚-運動ループ」に、常に没頭している(immersed)状態と言える。彼の神経系の認識を、術語を用いて表現すれば、「構成主義的」な理解(constructivist theory)と言えるだろう。

そして、「神経系は現実を計算するために用いられるのではない(not to compute reality)」「そこに意味は生じない」と考えた。したがって、神経生理学の目的は、「脳がどのように現実を解読しているのか」を明らかにすることではなく、「脳がどのように、生体の状況に一致した感覚-運動状態を創り出しているのか」を明らかにすることであろう。マトゥラーナはこれを「認知生物学」(biology of cognition)と呼び、その理解が生命の理解にとって本質的な問題であるとした。また、一般的に、円環型の因果関係のことをclosure(閉包)と名付け、生体理解の基本概念と考えた。これらの考えは、共同研究者であるフランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)との共著『Autopoiesis and Cognition』(Maturana and Varela, 1980. 邦訳は『オートポイエーシス―生命システムとは何か』河本英夫訳, 1991)で明らかにされた。マトゥラーナのアプローチにより、無限後退の問題は解決したわけではない。しかし、もはや問題解決法としての意味をなさなくなったといってよいだろう。

さらに、彼の当初の報告の脚注には、この感覚-運動ループの考え方は、代謝ネットワーク(すべての構成要素がそれ自体の産生に関与しているシステムである)の理解にも同様に使えるのではないかと書かれている。この脚注を拡張して書いたスペイン語の小本が『De máquinas y seres vivos (機械と生体について)』(Maturana and Varela, 1973.邦訳なし)である(このタイトル名は、ラ・メトリの『人間機械論』やウィーナーの『サイバネティクス:動物と機械における制御と通信』を念頭に置いたものであろう)。ここでは、生体の中心概念であるオートポイエティックシステム(autopoietic system)の定義が述べられている。

すなわち、オートポイエティックな機械とは、「構成素(component)の産生・変換・分解といったプロセスのネットワーク」として構成(organized)されているものである。そして、ここでいう「構成素」とは、
1.自らを相互作用や変換によって創り出す「プロセス(関係)のネットワーク」を、持続的に再生し、実現しているものである。
2.また、オートポイエティックな機械は、ある空間内に具体的な一貫性を持って存在するが、それらの構成素もまたその空間の中で、ネットワークを実現するために特定の部位(topological domain)に存在する。
このように、オートポイエティックシステムによって定義される空間とは、システム自らを含み、かつ、他の空間を定義する次元を用いては表せないものである。とは言っても、われわれが具体的なオートポイエティックシステムに言及する際には、そのシステムをいったん操作することにより、その操作し具合を記述することになる。上の定義が示すように、オートポイエティックシステムは図3に示すような、包まれたシステムである。そこでは、「プロセスのネットワーク」は、さらなる「プロセスのネットワーク」を産出する構成素を産出している。

オートポイエーシスは、下の図3のように、構造的な閉包(structural closure)を形成しているという点が、触媒作用の閉包(catalytic closure)を特徴とする(M,R)システムと異なる。
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(図3)オートポイエーシスを表すモデル:AからSへの実線矢印は、代謝の化学反応を表す。点線矢印は食物取り込みなどの動きを表す。この図は『Emergence of Life- From chemical origins to synthetic biology』(Luisi, 2006、邦訳は、『創発する生命―化学的起源から構成的生物学へ』ピエル・ルイジ・ルイージ著、白川智弘・郡司ペギオ-幸夫訳)の第8章Autopoiesisに描かれた図に基づいている。(ただし、この図ではマトゥラーナのオートポイエーシスの中心概念である、「プロセスのネットワーク」という考えが明確には表現されていない。)

オートポイエーシスは発表後、大変関心をもたれるようになった。ただし、生物学者の間でではほとんど関心を持たれず、ある時は法体系が、ある時は音楽が、そしてある時は廃棄物管理がオートポイエティックだと考えられた。「生命の理解」などという問題はもはや、専門化が進んだ実験生物学者たちによって、あまりに断片化されてしまっていたのである。

(4) ケモトン(Chemoton)
「ケモトン」とは、理論生物学者ティボール・ガンティによりハンガリー語で書かれた論文を英文で出版した著書『The Principle of Life』(Gánti, 2003, 邦訳なし)で述べられた生体のモデルである。ケモトンの本質的な構造は、下の図4のようなものであり、代謝サイクルA、情報サイクルVおよび構造サイクルTから構成される。食物分子XAが変換されることにより駆動力が生じるが、それは環境から得られる。廃棄物はYとして環境に放出される。すなわちケモトンは熱力学的にはオープンなシステムである。代謝サイクルは中間産物A1と他の分子V’およびTを再生し、V’は情報サイクルに入って、T’からTを産生する分子ためのRを産生する。Tは閉じた膜という構造的な閉包(structural closure)をつくるため重合または自己会合する。
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(図4)ケモトンのモデル:すべての矢印は化学反応を表す。両方向矢印は可逆的、一方向矢印は不可逆的な反応を示す。この図は上記の『The Principle of Life』(Gánti, 2003)に基づいている。

ケモトンはその名の通りもっとも化学(chemistry)に基づいた生命の理論と言えよう。しかも、前述のシュレディンガーの「codescript」も情報サイクルVとして取り込まれている。ここで分子pVnは情報を担う多量体で、Tを産生するテンプレート(鋳型)になっている。pVn分子の長さはケモトンの種類によってさまざまで、VとZの2タイプがあり、pVnZmと表され、nやmの数は遺伝すると考えた。このサイクルは代謝のための構成要素を再生することができ、システム自身を産出できる。すなわち、因果関係が閉じている(前述の動力因として閉じている)と言える。

(5) ハイパーサイクル(Hypercycle)
イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスとエオルシュ・サトマーリは、その著書『The Major Transitions in Evolution』(Maynard Smith and Szathmáry, 1995. 邦訳『進化する階層―生命の発生から言語の誕生まで』 長野敬訳)の中で、酵素の構造を決定するには大きなゲノムが必要だが、大きなゲノムを産生し正確に複製するためには酵素が必要であるということに言及するのに、「アイゲン(Eigen)のパラドックス」という呼び名を用いている。現代の進化した生物は酵素と大きなゲノムを持っているためこの問題は回避されるが、原初生命体はおそらくもっと単純なものしかもっておらず、この問題を両方とも満たすのは不可能だっただろう。そして、原始的な生命は大きなエラーを起こしやすく、このエラー・カタストロフィによって死滅してしまうと考えられる。そこで、ドイツの生物化学者マンフレート・アイゲンと理論化学者ペーター・シュスターは、このパラドックスを回避するためハイパーサイクルという概念を提案した(Eigen and Schuster, 1977)。「2度のハイパーサイクルの現実的なモデル」というのは図5のようなものである。情報を担うRNA分子であるIiが酵素Eiの構造を決定する、Eiのそれぞれが異なる酵素を作る情報分子の複製を触媒する。詳細な確率計算を行うと、この種のシステムはエラー・カタストロフィを起こさないで生存できることが示されている。
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(図5) 2度のハイパーサイクル:システムは4つの酵素E1-E4と、情報を担う4つのRNA分子I1-I4からなる。情報分子Iiは対応する酵素Eiの構造を決定し、さらに、それらの酵素が次の情報分子Ii+1の複製を触媒する。ここには明らかな「化学反応」がなく、「代謝はない」ということに注意。

(6) 生命の始まりにおける自己触媒(Autocatalysis)
さらに、生命の始まりにはこのような自己触媒のサイクルが不可欠であることがキングによって提唱された(King GAM, 1977, 1982)。「さまざまな自己触媒サイクルの相互作用により、大きなシステムが形成される」ことは、シムビオーシス(symbiosis)と呼ばれ、生命の初期段階における進化のプロセスと考えられた(ここでのsymbiosisは、現代における異種生物間の「共生」とは全く別の意味で用いられていることに注意)。単一の自己触媒サイクルのみでは、そのサイクルの基質が突然消失してしまうような危機的状況が起こると、システムは死滅してしまうが、シムビオーシスによりそれが回避され長期の安定性を保つことができる。現代でも、分子のリサイクルによって自己触媒サイクルの安定したシムビオーシスが保たれることを正確に示した例がある(Fernando, 2005)。Kingのこの相互依存する自己触媒サイクルという考え方は、今まで述べてきた閉包の概念と同じものであろう。

(7) 自己触媒セット(Autocatalytic set)
多くの研究者が「生体システムにはどんな特性が必要になるだろう」と考えたのに対し、フリーマン・ダイソン(Dyson, 1982)とスチュアート・カウフマン(Kauffman, 1986, 1993)は「偶然集まった分子の集合から自己組織化が生まれる条件とは何か」ということを考えた。アメリカの理論生物学者・複雑系研究者であるカウフマンは、自己触媒集合(autocatalytic set)として以下のようなものを定義している。触媒作用の閉包(catalytic closure)が維持されていて、この状態のすべての構成素が他の何らかの構成素による反応の最終ステップになっている。このような状態が維持されるために、外部から取り入れる物質(food set、食物集合)の酵素反応の結果得られた化学エネルギーが必要である。この定義は図6のように表される。
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(図6)カウフマンの自己触媒集合:前駆体である丸で囲んだA、B、Cは環境から得られ、灰色の薄い文字で表示される多量体以外のすべての多量体は、集合の構成素による反応(実線矢印で表示、これは質量因にあたる)と触媒反応(点線矢印、動力因にあたる)によって作られる。触媒されない反応は灰色矢印で表されている。この図は、自己触媒集合が、分子の偶然の作用によって自発的に形成される秩序であることを意図的に強調するために、一見乱雑に書かれている。

図6で、分子ABCCは以下の反応で産生されるとする。
     ABC        AABABCB       ABCBABCC
A+B → AB; AB+C    →     ABC; ABC+C     →     ABCC

上段(斜字体のアルファベット)が酵素であり、下段のアルファベットが反応物を示す。
しかし、ABCCが産生される過程はこれだけでなく、下記の反応でも産生されうる。

      ABC      ABCC   
A+B → AB; C+C    →   CC; AB+CC → ABCC
上記の最後のステップは酵素なしで自発的に進行する反応である。このように酵素なしで進むステップがあってもよい。また、AABABCAAAABが形成される反応はない(薄い灰色で書かれている)ため、この分子はこの自己触媒集合の構成素ではない。ABCBは触媒する作用を持たないが、この集合の構成素と考える。カウフマンは、このような模式図で表されうる集合が自発的に形成されるのが生命と考えた。

(8)Sysers (Systems of self-reproduction; 自己再産生システム)
White(1980)、RatnerとShamin(1980)、Feistel(1983)によって独立に提唱された理論で、ハイパーサイクルをより現実的に突き詰めたものとなっている。ウラジミール・レチコ(Red’ko, 1986, 1990)によって図7のようなモデルが作られている。
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(図7) Syserのモデル:マトリックス分子は2つの酵素(マトリックスを複製する複製酵素E1と2つの酵素の合成を行う翻訳酵素E2)の合成に必要な情報を含んでいる。この2つ(黒字部分)が最小限のsyserであり、適応syseは灰色部分の要素と過程を含んでいる。それらは、適応酵素の合成のスイッチをon/offする調節酵素E3、環境にある物質から利用可能な基質を産生する適応酵素E4である。

このようなsyserは図7に見るように、すべての要素がシステムそれ自体によって作られるため、因果関係が閉じていると言える。しかし、このシステムが成長し、自身を維持するために、さらに環境物質から利用可能な分子を産生する適応酵素E4を含む「適応syser」が想定されている。E2は2つの異なる過程を触媒する多機能蛋白(moonlighting protein)であり、これは閉包を形成するためには必要である。もしE2がマトリックスをE1に翻訳する過程のみを触媒するのであれば、E2への翻訳を触媒する他の酵素が必要ということなり、さらにそれが産生させる過程を説明しなければならなくなる。これでは、またその次の酵素を想定するという無限後退に陥ってしまう。

(9) RAFセット
カウフマンの自己触媒セットをコンピュータによって記述するための形式として、HordijkとSteel(2004)によって提唱された(Reflexive Autocatalytic systems generated by a Food setの略である)。RAFセットでは、すべての反応物はシステムが産生するか、環境から取り入れたもの(必ずしもすべてが内部のみで産生されるとはしていない)である。したがって、このシステムは因果関係で閉じてはいるものの、(M,R)システムよりは生命の定義としては弱いものである。すなわち、すべての(M,R)システムはRAFセットと言えるが、逆は言えない。RAFセットの概念をもとにして(M,R)システムを解析するための強力なアルゴリズムが作成されている。

【結論】
上記で見た閉包に関する諸理論はお互い重なるところが多いが、それらの間のコミュニケーションや相互参照と言ったものはほとんど見られない。例えば、ローゼンが提唱する触媒の閉包(catalytic closure)はマトゥラーナとヴァレラには見られないし、マトゥラーナとヴァレラが提唱する構造的な閉包(structural closure)はローゼンには見られないものである。さらには、各理論間で同じことを違う言葉で言ったり、違うことを同じ言葉で言ったりしていることがある。

上記の諸理論の生命のモデルを、表のような項目を満たしているかということをもとに比較した。項目は①熱力学的な開放系か、②酵素による触媒作用があるか、③触媒作用の閉包になっているか、④構造的な閉包になっているか、という点である。表にあるように、今までの諸理論はいくつかの項目を満たすものの、すべてを満たす「理想的」理論というものはまだ存在していない。

(表1) 生命に関する諸理論の特徴:理想的な理論にとって必要と思われる4項目を満たしているか? (①熱力学的な開放系か、②酵素による触媒作用があるか、③触媒作用の閉包になっているか、④構造的な閉包になっているか)
    理論         ①       ②       ③      ④          
(M,R) systems      Yes      Yes     Yes    No
Autopoiesis        Yes      No     No    Yes 
Chemoton         Yes         No     No   Yes
Hypercycle       Implied       Yes    Yes     No
Symbiosis        Unclear      Yes    Yes     No
Autocatalytic sets    Implied    Yes    Yes   No
Syser            Implied    Yes    Yes   No
RAF sets           Yes    Yes    No   No
"Ideal theory’’      Yes     Yes     Yes    Yes

RNAワールド仮説や16S rRNAを用いた原核生物の系統分類を考案したアメリカの微生物学者カール・ウーズ(Woese, 2004)はこう述べている。「十分な技術の進展がなければ、進歩の道は閉ざされてしまう。しかし、その技術を導く視点(guiding vision)がなければ、道はなく、先に進めないだろう」。生命理解のための技術革新は不可欠だが、この総説で見たような「導く視点」も同時に必要であろう。
by md345797 | 2014-01-04 18:39 | その他